思い立ったら吉日

いろんなことを書きます

今日のもろもろ

数日前に、こちらの記事を読んだ。

 

 

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こちらに

けれども1990年以降の若者は、そうした父や母の世代が歩んだような人生を、もはや思い描くことができなくなったのです。そのような世代が毎年毎年、生み出されて積み重なってきました。日本社会の「底」が、ここに形成されたのです。

と書かれているのを読んで、すごく胸の奥まで何か、透明な針でも通されたみたいな気持ちになった。衝撃、には違いないんだけど、そうだよなあ、それを知っていたはずなのにな、という不思議な納得感だった。

私は国公立の大学出身で、当時奨学金で通っていた友達(男性)がこんなことを言っていた。

「子供欲しくない。ていうか今の日本に生んであげたいと思う? 俺の親は借金まみれで俺も奨学金返していかなきゃだし、てことは子供にお金用意してから生んであげるってことができないからさ」

 

もちろん、親の収入を子が超えることは絶対ないわけじゃないし、彼の言葉が百パーセントの正解なわけではもちろんないと思う。

でも、二十歳の学生が「普通に考えた結果そうなった」ということが、もう十年以上前の話なんだけど、今にじゅうぶんつながってたんだな、と強く感じた。

私は既婚者で、女だけれど、子供が全然ほしくない(これは好みの話だからまた別の機会に)。でも、子供が欲しいのに、お金がないし、未来が暗いし、と思っている同世代が多いのも知ってる。どれだけ子育てが大変でも、お金さえあればもっとたくさん産みたいといっている友達もいる。

 

改憲がどうなるかはわからないし、今センセーショナルに改憲と騒ぐのもまだ違う気がするけれど、自民にいれたたとえば二十代・三十代の人たちに「自分の子供や孫がもしかしたら戦争に行く未来を創る一票だったかもよ」と言ったらどうなるんだろう、と考える。でもそんなことも愚問かもしれないなとよぎったことが悲しかった。

でもこの悲しさってなんなんだろう。後悔なのかな。今までのお前はもっと危機感がなかっただろう、という自己嫌悪なのだろうか。私は日本が割と好きな方だと思っているけれど、政治家に対する嫌悪感は年々増してるから、そういう悲しみなんだろうか。

悲しんでるだけでなんもしとらんやろと言われるとそれまでなんですけど(投票したり知り合いと話したりはめちゃくちゃしてるくらい)。

 

これからどうなっていくのかなあ。

悲しい悲しい言ってないでちゃんと目を見開いていきたい。